和意谷陶芸村建設の経緯

    和意谷陶芸村の鳥瞰
    和意谷陶芸村の鳥瞰

 戦前戦後杜会運動に取りくんだ弁護土や活動家、先進的に農業改善に取りくんだ篤農家や、故三木知事などで「十八日会」をつくり県内の名所旧跡、神杜仏閣などを借りて親睦会を行っていました。この会は40年間ほど続いています。 私もその会員であることは前にも書きました。

 15~6年前、池田藩主の墓地がある古永町和意谷のお塚事務所を借りて会場にしました。その折、地元の町会議員さん、長老、一部の有識者が参加し、和意谷を昔のように有名にし、周辺を開発して地域の活性化をはかりたいが、何かよい考えはないかとの話しがありました。

 当時、和意谷の墓地周辺は荒れるにまかせ、参道はところどころ崩れ、道には大きな木が生え、軽トラツクすら入れない状態でした。

 そこで、私は、まず道路を整備し、自動車が入れるようにする必要がある、と言うと、地元の人が「道をつくれば榊原さんが来てくれますか」と聞かれたので、私は、道ができれば喜んで行かせてもらいますと答えました。

 地元の人は、早速、町へ相談し、道路建設の計画を進めていましたが、51年の大水害により計画は一時棚上されました。55年、姑耶山の自宅へ、吉永町長、議員、地元の代表者の皆さんが見えられ、和意谷へ道をつけるから、開発に協力してほしいといってこられました。

 大正15年には、岡山県十景にも入ったほどの恵まれた自然と美しい景色、それに歴史を伝える立派な藩主の墓の数々を見て、私は徴力ではあるが、忘れ去られたかつての名所を再び世に出すために力を尽そうと決意しました。

 地域の皆さんの積極的な協力を得て、よい窯場も確保でき、用地を整備して大型の昇り窯を築き、運動場もつくりました。

 一番大切な水がありませんでしたが、町が簡易水道を設置してくれました。そして、桜200本、梅200本、ボタン500本を植えました。

これからも地質や気象条件を見きわめ、花木や果樹園を増やしたいと思っています。

また、テニスコートやキャンプ場、それに昔ながらのいろりや掘ごたつがある昔の生活様式が体験できる農家も復元したいとも考えています。

 池田家の墓には、鉄砲、日本刀、鎗、よろい、かぶと、大判、小判などが隠されているとの伝説があります。

 そんなロマンを秘めた塚と、伝統工芸の備前焼、美しい白然美と景観を、大いに宣伝し、多数の観光客に来てもらい、地域の活性化に寄与したいものです。

 歴史の本を調べていると、58年11月27日は、名君として名高い、池田光政公の没後三百年にあたることを発見し、私は遺徳をしのび三百年祭をやろうと考え、お塚顕彰会の会長さんや和意谷地区の人達、それに吉永町役場へ相談すると、皆さん大賛成をしてくれました。

 そして、岡山市、備前市、和気郡内の有志、池田家ゆかりの人達に協力をお願いし、寄附を集め、盛大に記念式典を行いました。池田家の当主、隆政様は、法要のため出席できず、代理の人が出席しましたが、加藤武徳先生をはじめ大勢の人が参列してくれ、テレビや新聞にもおおきく報道されました。

 そして、お塚ゆかりの井戸や休憩所を再建しました。和意谷地区の人々は、書いて字のごとく、「意が和する」人達です。みんな和気あいあい、気持がわかりあい、通じあい、助けあい、協力的でひとつにまとまり、なごやかで平和な村です。

 和意谷陶芸村は、三男の「学」が経営しています。昇り窯は、年二~三回窯出ししています。

榊原 勤著「温故知新」より

土は生きている…

生きている土を使って

私も生きている。

  天人窯・榊原 清人

〒705-0001

 岡山県備前市伊部2523

Tel 0869-64-1582

Fax0869-64-1534

天人窯の所在地(MAP)

      ロクちゃん
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